@↑ 青葉区 鉄町(くろがねちょう)の伝説
今から数百年前の出来事である。
A↑今の青葉区もみの木台の住宅地から西に広がる森林地帯は、横浜市と川崎市の市堺があり、一歩足を踏み入れると、そこには獣道(けものみち)
のような細い道が延々と山の尾根づたいにのびている。もみの木台の方から来れば右側が早野(川崎市)で左側が鉄町(横浜市)になります。
右側の方を見れば眼下に川崎市の早野聖地公園墓地が見え、左側の方は竹やぶや雑木林が続いています。この道が鎌倉古道です。
B↑道の両側にはコナラや樫(かし)の木や竹、杉の木などで覆われ、昼間でも薄暗く鬱そうとしています。しばらく歩いていると緩やかな下り坂に
なり、林の中から先の方を見るとトンネルの出口に来た時、外の明るさが見えるように、
C↑此処からはのどかな畑の風景へと変わっていきます。この辺りからはようやく道らしくなってきました。どんどん歩いて行くと右側に
鉄火松の石碑が見えてきました。此処が鉄火松の伝説の場所です。近くには宗英寺(そうえいじ)、戒翁寺(かいおうじ)などの曹洞宗の
お寺があります。
D↑これは戦争前に撮った鉄火松の写真を見て描いたものです。松の高さは30メートル、鉄町の鎌倉古道松並木の1本。松の種類は
おんな松
(あかまつ)で、松の周囲は3.5メートル、小田急線柿生駅のホームからも見えたそうです。周囲は桑畑と草地です。
E↑さて。これからが伝説の由来です。・・・・昔、早野(川崎市)と鉄(横浜市)の村境をどこにするかで争いがありました。両者とも一歩も
譲らず、争いは長く続きました。
F↑この話が村役人の耳に入り、とうとう村役人の裁きをゆだねることになりました。村の有力者の立会いの下で、お役人の前でそれぞれ言い分
を述べました。いくら言い分を聞いても裁定はつかず、村役人は「鉄火の法」できめる。と言い出しました。
G↑「鉄火の法」とは鉄の棒を灼熱(しゃくねつ)に焼きこの棒を握らせる、と言うのです。もし主張が正しければ灼熱に焼かれた棒は熱くなく
何時までも握っていられるという。主張が悪く間違っていれば手はたちまち黒く焼き焦げてしまう。
H↑初めに鉄(くろがね)の代表が真っ赤に焼けた鉄棒を触ろうとしたが、すぐに手を離してしまった。
I↑次に早野の代表が灼熱の棒をギュッと握った。何時までも握っていた。これで早野村の主張が通り、現在の石碑の所に目印に松の木が
植えられました。
J松の木はだんだんと成長し、いつの間にか誰と言うことなく「鉄火松」と言われるようになりました。第2次世界大戦中に鉄火松は枯れ
昭和22年に伐採されました。おわり